ほぐしおりについて

郡内織・ほぐし織とは

郡内織
ほぐし織とは

       

山梨県は甲府地方を国中、東部地域を郡内と呼ばれており、郡内地方で織られている織物の総称を郡内織(甲州織)と言います。
郡内織の手法で“ほぐし織”があり、ほぐし織とは縦糸を一度仮織して織った糸に捺染し、高温で圧をかけて色を定着させてから本織りを行います。仮織の糸をほぐしながら織るのでほぐし織と呼ばれ、捺染、織とも熟練の職人でなければできない織物です。
織るときに糸が微かにずれることで柄が滲みぼやけ、絣の絣のようで美しい独特な模様を醸し出す織物です。

衣擦れの音を楽しめる生活を

郡内織はその昔衣擦れの音の美しさから江戸から明治にかけて人気の織物でした。
この世知辛い世の中で音を楽しむのは音楽だけではありません。
日常生活において何気ない音。雨が降る音、雨粒が傘に当たる音。傘を開く、閉じる音。少し耳を澄まし感じてみてはいかがでしょう。
先人が衣擦れの音を楽しんだように。

江戸時代から続く
郡内織の発祥の地としての都留市の歴史

    谷村(現都留市)を中心に郡内地方で絹織物が産業として織られるようになったのは、寛永十年(1633年)秋元但馬守泰朝が谷村藩の藩主に封じられた後。三代にわたって秋元氏が谷村藩を治めていた時期である。
 秋元氏は上州総社(現在群馬県前橋市)から絹師を招き、蚕の餌となる桑の木を取り寄せ、里人や下級武士の奥さんに『はた』を織る技術を教えました。織り上がった反物は、江戸や京都、大阪に宣伝したとされます。古くは帯、茶器などの袋物などに用いられていましたが、第二次世界大戦前には、主に羽織裏地が生産され、袖裏地、風呂敷地、座ぶとん地、傘地などに用いられています。海外では婦人ドレス地に使用されたそうです。
    時代が進むにつれて、和服から洋服が好まれるようになりました。昭和後期から平成になると、輸入品との競合が多くなり、織物業が減少していき現在に至ります。
    都留市で織物業に携わっている企業は、一時期は数百社ありましたが、今では数社だけとなりました。